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物貸石

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あらすじ 困った人に物を貸す石があったんだけど、強欲な僧侶が返さなかったから二度と物を貸してくれなくなった石の話。 詳細は ここ 。場所は ここ 。 石を訪ねて 昔話で語り継がれる直津と池崎の間をうろちょろしたのですが、横内という地名は見当たらず。 しかも今では直津と池崎の間の旧道は木々が生い茂って、熊が出没しそうな勢い。 両地の間を走る道はバイパスで山を切り拓いて作った道だから、物語にある畑地でないのは明らか。 さすがにこんなとこで熊に襲われて死ぬわけにはいけないので、近隣住民に聞き込み調査。 偶然、直津の石屋さんのお父さんに話を聞くことができた。 物貸石を探してるんですけどーって聞くと、 「おぅ、日本昔ばなしのやつやろ?」 と快く応対してくれた。 「神社の裏手にある岩や。うちらは神様として大事に祀ってあるんや。」とのこと。 そうか、神社の裏手にあったのか。 どうりで直津の神社の正面からは解らなかったわけです。 神社の裏を見ると、立派な石がしめ縄をされて鎮座されていました、 おやじギャグを言いたいわけじゃないんですけど、この石からは意思を感じるんですよね。 オカルトとか信じないけど、たぶんこの石に俺は嫌われてるw 静かにおやすみのとこ、お騒がせしてすみませんでした。 ちなみにこの岩が祀られてる神社の全景はこんな感じ。 素敵な話があるのに、境内には何の説明書きもないのが残念。 あとこの神社、「正」八幡神社ってなってるのが気になる。 八幡神社は謎が多い神社で、古代に大和王朝に滅ぼされた一派を祀るとかいろいろ伝説があるけど 今の俺にはその謎に迫るほどの知識がないのが残念。 まぁ昔話が残るほどの由緒正しい神社であるのは間違いない。 感想 このお話は昔、僧兵で有名だった近くの石動寺の栄枯盛衰を語り伝えてるとも言われています。 僧兵とか言われる以前の石動寺は、この石に語り継がれるように庶民に優しかったのでしょう。 けれど僧兵として力を持つようになって次第に傲慢になり、人民に嫌われて滅びた。 よくある話なんだけれども、人は何度も繰り返すよね。 この岩の話を心に止めておいて、いつだって謙虚な気持ちを忘れないようにしないといけないですね。 とりま借りたものは忘れがちだけど、絶対に返さないとね!

石になった塩売り(高岡市)

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あらすじ 石川県の志雄から高岡まで塩を売りに来てた商人が、 山中で石灰を見つけて塩のかわりに売りつけたら石になっちゃった話。 詳細は ここ 。場所は ここ 。 あらまし 昔は近くの水道公園にある林道にあったみたいだけど、 日露戦争の慰霊碑に使うために、牛さんの部分から切り取って 商人の部分が今の場所に移築されたらあらまししい。 個人的には歴史的な岩を加工しちゃうのは悲しいけど、戦争を知らない俺は何も言えない。 感想 下のでっぱったとこが塩売りが使うマスだったみたいなんだけど、 慰霊碑にするために切り込みをいれたせいで卑猥なものに見えちゃう、、。 心がすさんでるんだね、ほんとごめんなさい。 でも上辺だけつくろったって英霊はお見通しだろうし、嘘つくほうが失礼だよね。 富山は昔から薬売りで有名だった。 薬売りは信用が一番だから、富山の昔話は誠実さをテーマにした話が多い。 この話もきっと誠実であることの大事さをたたえた話なんだろうな。 ただ仕事上、富山の人って融通が聞かないから面倒なんだよな。 とはいえ確かに富山の人は信用できるわ。 この話は富山が栄えた原点に通じる話なんだなって思いました。

岩如来(福井県)

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あらすじ 全財産で買った掛け軸に描かれてた如来様が岩に逃げちゃった話。 詳細は ここ 。場所は ここ 。 行った感想 正直、お話自体は散財した男の言い訳な感じで惹かれるものはなかった。 しかし如来様が実際に今でも残っているというのが興味深くて訪れたのだが。 残念ながら私が訪れたときは如来様が描かれているという岩は苔むしており、如来様を拝むことはできなかった。 勝山市には連絡したが、ロマンあふれる話なので後世に残して頂けるとありがたい。

椎の木のうろ(石川県)

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あらすじ 今(2020年)から約150年前の寛政時代の話。 椎の木のウロに小石を投げていたら、椎の木の祟りでポルターガイスト現象が起きた話。 詳細は ここ 。場所は ここ 。 昔話データベースの高座の神社 昔話データベースの場所が怪しかったから、データベースの場所(高座、こうざ)と 種本 の場所(河田、こうだ)、両方行ってみた。 データベースで指摘されていた場所は高座(こうざ)。 確かに高座には 神社 があり、椎ノ木もあったが肝心のウロのある木が見当たらない。 小松市河田の八幡神社(河田神社) で、本命の河田(こうだ)の 八幡神社 。 種本 にも河田って書いてあるし放送を聞いてても「こうだ」と聞こえるけど、 河田をこうだと呼ぶ発想がないと、こうだとは聞こえないかもね。 神社自体がちょい特殊。鳥居が本殿の90度右前にある。 で、一軒家と同じぐらいの敷地なのに、盛り土がしてあって、周りの住宅街の屋根よりも高い位置にある。 住宅街にある神社なのに周りの住居が写り込んでないのがお解り頂けるだろうか。 明らかに人為的に盛り土された場所にある神社。 ちなみにすぐ近くは河田山古墳があるから、昔から敬われていた盛り土と考えられる。 神社の由緒には昔話の椎の木は書かれていない。 けれども逸話ができるには十分な由緒。 昔話の舞台となったらしい椎の木は、本殿の右手にあった。 立派なうろのある椎の木で、何か神々しい。 ポルターガイスト現象を起こすと言われたら信じてしまう迫力はある。 近くに物語の舞台となったであろう、大きな家もあったがプライバシーの関係で写真はなし。 現地に行かれた方はすぐに解ると思う。 俺の見解 昔から椎の木などドングリをつける木は敬われていた。 ドングリが飢餓の際に何度も人類を救ったからと言われており、 それが神社に椎の木が植えられる理由ともされている。 そんな大切な椎ノ木のうろで遊んでる人を見て、自然を大切にしろという説話がこの話だと思う。 でもね、この場所。実際に行くと不安定なんだよね。 体が軽くなって平衡感覚を失うというか。 周りより高い場所にある神社だから感じる錯覚なんだろうけど。 だからこの場所の椎の木に悪さをしたから、座布団や茶飲みが宙を舞うという話は納得感がある。 高い場所にある神社だから空を飛ぶ感覚になれるんだよ。 昔話って現実感覚と結びついたものだけが

東尋坊(福井県)

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あらすじ 昔、粗暴なお坊さんが信頼した村人に殺されました。 東尋坊のお話は簡単に言うとこんな感じ。詳しくは このリンク で。 この話は悲しいけど、以下の文は 福井に伝わる東尋坊の昔話 をベースにしてます。 福井に伝わるのは、粗暴な東尋坊が仲間の坊主に殺されたって話。そんなに変わらんか。 場所は ここ 。 きっかけ ずっと仲良くやってたのに、俺だけブロックされた。 俺がいなくなっても、何もなかったかのように続く会話。 悔しかったけど、恨みはしなかった。けど、恨んだほうが楽な気がしたんだ。 それで、福井県民なら誰でも知ってる恨みの話、東尋坊を辿ってみた。 東尋坊って福井の有名な観光地だけど、もともとはそこで殺されたお坊さんの名前が地名の由来。 そのお坊さんの話が昔話として今に伝えられている。 先のリンクでは「とうせん坊」となってるし、他のサイトでは当尋坊になってるし、俺の 種本 では当仁坊になってる。 まぁ昔の話は解らないから、今に伝わる東尋坊でお坊さんの名前は統一しとくね。 時代背景 東尋坊の亡くなった年は1182年4月5日とされている。 亡くなった年から推定すると、生まれた年は1140年ぐらいだろうか。 平安時代が終わりかけで、武士が台頭してきた頃。 武士が重用され平家が興隆を極め、源氏が台頭してきた頃。 そもそも東尋坊が実在したかの議論もあるらしいけど。 昔話だから実在したことにしておこう。 東尋坊の生まれた場所 生まれた場所は福井県福井市の荒木別所らしい。 ちょうど警察学校や機動隊のある場所。 武力に秀でた東尋坊ゆかりの地に機動隊があるのも、不思議なご縁だ。 おそらく東尋坊がいた800年前にもあったと思われる、荒木別所町にある 白山神社 。 ここで仲間たちと相撲でもとってたのかな。 白山神社から東を見たらこんな感じ。 田んぼと山だけだから、この風景は800年前も同じだったはず。 東尋坊の入山 力が強かった東尋坊は、力だけじゃ誰からも尊敬されないと考えお寺に入ったらしい。 そのお寺が福井市寮町にある 勝縁寺 とされている。 今でも立派なお寺が残ってた。 東尋坊に関してはいいお坊さんだったという説と、悪いお坊さんだったという説がある。 お寺に入って尊敬される人になろうと考えたなら、良いお坊さんだったんだろうか。 でもさ、実際は根性を叩き直せ!と親から無理やりお寺に入