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9月, 2020の投稿を表示しています

岩如来(福井県)

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あらすじ 全財産で買った掛け軸に描かれてた如来様が岩に逃げちゃった話。 詳細は ここ 。場所は ここ 。 行った感想 正直、お話自体は散財した男の言い訳な感じで惹かれるものはなかった。 しかし如来様が実際に今でも残っているというのが興味深くて訪れたのだが。 残念ながら私が訪れたときは如来様が描かれているという岩は苔むしており、如来様を拝むことはできなかった。 勝山市には連絡したが、ロマンあふれる話なので後世に残して頂けるとありがたい。

椎の木のうろ(石川県)

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あらすじ 今(2020年)から約150年前の寛政時代の話。 椎の木のウロに小石を投げていたら、椎の木の祟りでポルターガイスト現象が起きた話。 詳細は ここ 。場所は ここ 。 昔話データベースの高座の神社 昔話データベースの場所が怪しかったから、データベースの場所(高座、こうざ)と 種本 の場所(河田、こうだ)、両方行ってみた。 データベースで指摘されていた場所は高座(こうざ)。 確かに高座には 神社 があり、椎ノ木もあったが肝心のウロのある木が見当たらない。 小松市河田の八幡神社(河田神社) で、本命の河田(こうだ)の 八幡神社 。 種本 にも河田って書いてあるし放送を聞いてても「こうだ」と聞こえるけど、 河田をこうだと呼ぶ発想がないと、こうだとは聞こえないかもね。 神社自体がちょい特殊。鳥居が本殿の90度右前にある。 で、一軒家と同じぐらいの敷地なのに、盛り土がしてあって、周りの住宅街の屋根よりも高い位置にある。 住宅街にある神社なのに周りの住居が写り込んでないのがお解り頂けるだろうか。 明らかに人為的に盛り土された場所にある神社。 ちなみにすぐ近くは河田山古墳があるから、昔から敬われていた盛り土と考えられる。 神社の由緒には昔話の椎の木は書かれていない。 けれども逸話ができるには十分な由緒。 昔話の舞台となったらしい椎の木は、本殿の右手にあった。 立派なうろのある椎の木で、何か神々しい。 ポルターガイスト現象を起こすと言われたら信じてしまう迫力はある。 近くに物語の舞台となったであろう、大きな家もあったがプライバシーの関係で写真はなし。 現地に行かれた方はすぐに解ると思う。 俺の見解 昔から椎の木などドングリをつける木は敬われていた。 ドングリが飢餓の際に何度も人類を救ったからと言われており、 それが神社に椎の木が植えられる理由ともされている。 そんな大切な椎ノ木のうろで遊んでる人を見て、自然を大切にしろという説話がこの話だと思う。 でもね、この場所。実際に行くと不安定なんだよね。 体が軽くなって平衡感覚を失うというか。 周りより高い場所にある神社だから感じる錯覚なんだろうけど。 だからこの場所の椎の木に悪さをしたから、座布団や茶飲みが宙を舞うという話は納得感がある。 高い場所にある神社だから空を飛ぶ感覚になれるんだよ。 昔話って現実感覚と結びついたものだけが

東尋坊(福井県)

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あらすじ 昔、粗暴なお坊さんが信頼した村人に殺されました。 東尋坊のお話は簡単に言うとこんな感じ。詳しくは このリンク で。 この話は悲しいけど、以下の文は 福井に伝わる東尋坊の昔話 をベースにしてます。 福井に伝わるのは、粗暴な東尋坊が仲間の坊主に殺されたって話。そんなに変わらんか。 場所は ここ 。 きっかけ ずっと仲良くやってたのに、俺だけブロックされた。 俺がいなくなっても、何もなかったかのように続く会話。 悔しかったけど、恨みはしなかった。けど、恨んだほうが楽な気がしたんだ。 それで、福井県民なら誰でも知ってる恨みの話、東尋坊を辿ってみた。 東尋坊って福井の有名な観光地だけど、もともとはそこで殺されたお坊さんの名前が地名の由来。 そのお坊さんの話が昔話として今に伝えられている。 先のリンクでは「とうせん坊」となってるし、他のサイトでは当尋坊になってるし、俺の 種本 では当仁坊になってる。 まぁ昔の話は解らないから、今に伝わる東尋坊でお坊さんの名前は統一しとくね。 時代背景 東尋坊の亡くなった年は1182年4月5日とされている。 亡くなった年から推定すると、生まれた年は1140年ぐらいだろうか。 平安時代が終わりかけで、武士が台頭してきた頃。 武士が重用され平家が興隆を極め、源氏が台頭してきた頃。 そもそも東尋坊が実在したかの議論もあるらしいけど。 昔話だから実在したことにしておこう。 東尋坊の生まれた場所 生まれた場所は福井県福井市の荒木別所らしい。 ちょうど警察学校や機動隊のある場所。 武力に秀でた東尋坊ゆかりの地に機動隊があるのも、不思議なご縁だ。 おそらく東尋坊がいた800年前にもあったと思われる、荒木別所町にある 白山神社 。 ここで仲間たちと相撲でもとってたのかな。 白山神社から東を見たらこんな感じ。 田んぼと山だけだから、この風景は800年前も同じだったはず。 東尋坊の入山 力が強かった東尋坊は、力だけじゃ誰からも尊敬されないと考えお寺に入ったらしい。 そのお寺が福井市寮町にある 勝縁寺 とされている。 今でも立派なお寺が残ってた。 東尋坊に関してはいいお坊さんだったという説と、悪いお坊さんだったという説がある。 お寺に入って尊敬される人になろうと考えたなら、良いお坊さんだったんだろうか。 でもさ、実際は根性を叩き直せ!と親から無理やりお寺に入